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十字架の意義」 

2007 / 11 / 04            

講師  姜寶陞牧師  
聖書箇所  Tコリント2:1−2   
記録  松澤政彦  
 

 Tコリント2章2節でパウロは「イエスキリストすなわち十字架につけられた方のほかは何も知らないことを決心したからです。」と言っています。十字架が無ければ贖いもありません。十字架が無ければ私達の信仰もありません。

1. 十字架は贖いの印です。民数記「モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗さおの上につけた、もし蛇が人をかんでも、そのものが青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」青銅の蛇はキリストの血による贖いを現しています。聖書で血は命を現しています。イエス様が十字架の上で血を流して始めて贖いを成し遂げることができます。私達は良い行いをしたから救われたのではありません。イエス様の十字架の救いを通して私達は新しい命をいただきました

2. 十字架は自分自身を捨てた印です。ガラテヤ2章「私は主とともに十字架につけられました。今生きているのはもはや私ではありません。キリストが私のうちに生きてくださるのです」。またイエス様は仰いました。「だれでも私について来たいと思うなら自分を捨て自分の十字架を負いそして私について来なさい」。十字架を背負うとは自分自身を捨てるということです。イエス様のために生きるのなら私達の命は一新されます。

3. 十字架は愛と許しの印です。エペソ人への手紙第二章、「イエスキリストは十字架の上で全ての敵を全て滅ぼしました。両者を一つの体として十字架によって神と和解させるためです。」イエス様は私達の罪のために十字架につけられました。この世界では多くの争いが起こっています。十字架の愛が私達に和解をもたらします。

4. 十字架は従順の印です。イエス様は十字架につけられる前ゲッセマネで祈られました。「父よ。もしできるなら、この苦しい杯を私から取り除いてください。」しかしイエスは続けてこのように祈りました。「しかし、私の願いではなく御心の通りにしてください。」イエス様は十字架の死に到るまで従順でした。イエス様は私達のために模範を示してくださいました。お互いに従順でありましょう。

5. 十字架は逆説的な印です。人間の目から見ると愚かに見えることも、神様の目から見ると真理です。@それは辱めですが栄光の印です。Aそれは失敗ですがしかし勝利の印です。Bそれは死ですがしかし復活の印です。C弱さですがしかし力強さを現しています。Dそれは苦しみですがしかし祝福の印です。Eそれは憎しみが集まるところですがしかし赦しの集まるところでもあります。Fそれは刑罰の道具ですがしかしそれは愛の印です。

6. 十字架は勝利の印です。十字架を通して初めて自分自身に打ち勝つことができます。キリストの十字架が死を打ち破ったのです。サタンに暗闇の権利に打ち勝ちました。サタンは誇っています。しかしサタンは十字架に直面するときに必ず敗北します。クリスチャンはいかに弱くても十字架に頼れば勝利を得ることができます。

7. 十字架は栄光に通ずる道です。イエス様は十字架の上で叫びました。「わが神、わが神どうした私を捨てたのですか」。その瞬間にイエス様は全ての人々の罪を背負われました。しかし十字架の後は栄光なる復活です。イエス様は復活の後弟子達に言われました。「わたしには天においても、地においてもいっさいの権威が与えられています」。十字架の後イエス様は王権を持ったのです。十字架を高く掲げましょう。これは私達大切な信仰です。

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