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イエス様ご自身が彼らの間に立たれた」 

2007 / 10 / 28            

講師  Rev.McVety      
聖書箇所  ルカ24:36−53      
記録  磯川智子  
 
 今日の聖書箇所の中に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。(36節)とあります。

これは珍しいことではありません。イエス様は長い間弟子たちの間でそうしてこられました。ただ今度のイエス様は違います。よみがえりのイエス様として立っておられるのです。イエス様は十字架にかかられた後、3日間墓に置かれました。そこでは超自然的なことが行われました。それがすなわちイエス様の復活です。イエス様は、そのとき新しい永遠の世界にふさわしい体をいただいたのです。今までと同じイエス様だということには間違いありません。ただ今度は永遠の体をいただいたイエス様なのです。残念なことに、弟子たちはそれを自分の目で見ながらも信じることができませんでした。最初は、ただもう一度イエス様に会えたということしか感じられず、そのうちだんだん目が開かれてきて、最後にはイエス様が永遠のかたであるということを確信したのです

 イエス様の体は、罪の結果としていただいたものではありません。輝かしい、永遠にふさわしい体なのです。すばらしいかたちで、イエス様の体が変えられました。このことは私たちにとっても重大な意味があります。イエス様を信じている人ならいつかイエス様と同じ体をいただくことになっているからです。私たちはイエス様の復活を待っています。その時イエス様は、かつて復活した時と同じ体をもって現れます。イエス様が十字架にかかられた後、弟子たちは非常に恐れていたため、扉を全部閉めていました。しかしイエス様は何の問題もなくそこを通りぬけました。また、どこへでも自由に行き来ができるようになっていました。わたしたちも、新しい体をいただいた時にはそういう風になるのです。

 弟子たちが経験した、イエス様のよみがえりを今の時代に生きる私たちも経験することは可能です。聖書には、自分ではわからないところがあったりして、読み続けることが困難なこともあります。ですが、生けるイエス様がそばに座って説明してくださるならだいぶ違います。イエス様、私のそばに座って説明してください。そして意味がわかるように私を強くしてください。聖書を開くたびにそのように祈るなら、私たちもよみがえりのイエス様を経験できるのです。イエス様は喜んで来てくださることでしょう。

 弟子たちは、イエス様の話を聞いているうちに十字架の意味や復活の意味がわかるようになってきました。そして、彼らの心は燃えるようになりました。私たちの前にイエス様が現れるときにもやはり同じことが起こります。心の目が開かれ、十字架と復活の本当の意味がわかるようになり、心が燃えるようになるのです。どうか、この教会の全員が燃える心の交わりのメンバーでありますように。

 もう一つ重要なこととして、よみがえりのイエス様によって誰でも入れる救いのドアが開かれました。イエス様は、自分の仕事は完成した、後はあなたがたの責任だと言われました。今日、イエス様は私たちの真中に立っておられ、世界全ての人を呼んでおられます。イエス様はその恵みによって新しい生涯に入ることを約束してくださいました。悩める人が多いこの世の中で、本当の満足と希望はイエス様であるというすばらしいニュースを人々に伝えるのが私たちに与えられた責任です。イエス様は私たちがこの仕事を完成するまで、機械的でなく燃える心をもって続けることを望んでおられます。私たちは日々、よみがえりのイエス様を証しすることができるような正しい生活を送ることが大切です。どうか一人一人が燃える心をもって、前進していくことができますように。

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