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今日の聖書箇所は、どのような人が長老という立場にふさわしいかということが書かれています。しかし、長老に限らず、すべてのクリスチャンに必要な話です。教会内での行政は、この世の慣わしのように市民によって選ばれるのとは違い、すべて御ことばに従って立てられます。聖書の長い歴史の中で、この真理を曲げようとする人たちも数多く現れましたが、私たちの信仰は、御霊の感動によって御ことばに導かれるのです。ですから、教会の信徒たちがどの様に成長したらよいかを学びたいと思います。
「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。」(Tテモテ3:1)多くのクリスチャンが、すばらしい仕事とはどの様なものか、また、どの様に生活したらよいかを知りません。その真理はすべて、この聖書箇所に書かれています。聖書の原則と言うのは、教会の中に多くの模範を残しています。これは、パウロがテモテに送った手紙です。パウロはテモテにエペソの教会で牧会するように言いました。パウロは様々な場所で伝道をしていましたが、常に同労者と共にいて、牧会が終わると同労者だけをその場所に残していました。それは、その場所に於いてするべきことがあるからです。その時パウロは同労者に対して「長老をおこすことを忘れないで下さい」と伝えていました。同労者がその場所に残り、継続して信者たちの模範となる人を立てるためです。長老を立てる原則とはどの様なものであるか、見て行きたいと思います。しかし、この原則というのはクリスチャンの基本的な原則であって、長老となる人の為だけのものではありません。
まず、「監督」となる人は、教会に来たばかりの人であってはなりません。信仰というものをよく理解していないうちは悪魔の誘惑に負けて、人々を暗闇の中に導いてしまうからです。また、教会外の人々からも評判の良い人でなければなりません。人々からそしりを受け、悪魔の罠に陥らない為です。評判の良い人になることは、それほど難しいことではないかもしれません。しかし、教会のリーダーとなる人は、信徒の模範にならなければなりません。パウロはここで、クリスチャンが守るべき基本的な態度を記しています。
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自分を制し、慎み深く、品位があることです。結婚生活や、様々な生活に於いて、この教えに従うことが出来る人でなければならないのです。旧約の時代には一人の夫に対して複数の妻を持つという生活がありましたが、神様が定められたのは一人の夫に対して一人の妻です。また、酒飲みでなく、暴力を振るわず、温和で争わず、金銭に無欲である。これはすべてのクリスチャンがあるべき姿なのです。
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家庭において、子供たちの模範でなければなりません。食事をするとき、神様にお祈りをしているでしょうか。子供たちの前で祈るとき、これを見た子供たちは、今後食事の前に神様にお祈りをするでしょう。この様に、良い模範とならなければなりません。クリスチャンは、個人的な生活、家庭での生活の中で、ますます神様の御こころに適った生活が出来るよう祈り求めなければなりません。そうすれば、他の人の模範となれるでしょう。こうすることによって、本当のクリスチャンになれたと言えるのです。
教会の中で長老となる人は、教会の外でも評判が良く、生活が正しく、人々の模範とならなければなりません。聖書のすべてに於いて、神様が民に教えているのは言葉だけではありません。イエス様がこの世に来られたのは、私たちの模範となるためであり、私たちがイエス様の行いを行うことによって、私たちの行いを見る人々はイエス様の行いを見ることが出来るのです。人を教えるときは、自分の行いを伝え、また、自分もそれに従わなければなりません。長老とは、この様に模範となる人でなければならないと同時に、すべてのクリスチャンがこの様に人々の模範とならなければなりません。主の御こころは、主が選ばれた民を通して行われるのです。 |