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ガリラヤ湖での出来事でした。弟子たちはイエス様と共に船に乗っておられました。嵐に襲われました。弟子達はガリラヤ湖で漁師をしていました。彼らは嵐に遭遇した経験があるはずです。しかし彼らの恐れ方を見れば今までに経験したことが無い嵐だと想像することができます。私たちはこの出来事から霊的なことを学びたいと思います。
私たちの人生には予想もつかない苦難が起こることがあります。ルカの福音書8章23節「船で岸に渡ろうとしている間イエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろしてきた」。暴風雨で船は水をかぶりおぼれて死にそうな状況でした。私たちはだれでも予想がつかない苦難に出会います。キリスト教ではイエス様を信じれば苦難がなくなるとは言っていません。しかし神様は私たちが苦難の中にあっても必ず出口を与えてくださいます。私たちの心の中に平安を与えてくださいます。イエス様は私たちに歩み続ける力と勇気を与えてくださいます。
絶望的な境遇の中で人間には限界があることを知らされます。ルカの福音書8章24節,ガリラヤ湖の性質を熟知していたはずの漁師達が嵐の中でおぼれそうだと叫びました。彼らの経験や知識は何の役にもたちませんでした。人間には限界があります。詩篇103篇14節「主は私たちがチリにすぎないことを・・」。取るに足らない私たちが頼るお方は,主以外にいらっしゃいません。しかし人間はおごりたかぶってしまいます。傲慢は原始的な罪です。おごりたかぶりとは神様の恵みを必要としないということです。ですからキリスト者である私たちにさえも神様は苦難に遭遇することをお許しになりました。私たちが謙虚になり,信仰によって苦難に打ち勝つことができ,苦難がやがて祝福に変えられていきます。
主の力はあらゆる人生の苦難を打ち破ります。ルカの福音書8章24節の後半,「イエスは起き上がって風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まりなぎになった」。私たち人間は環境に縛られます。しかし私たちはイエス様こそが苦難を打ち破ることができるお方だという信仰を持っています。主は波や風を鎮めることができる力を持っています。自然は主のみ手の中にあります。私たち人間の科学では台風を治めることはできません。しかしイエス様は一言で暴風雨を治められました。イエス様こそが万物の主であるからです。
苦難に遭遇することによってキリスト者は神様を知り体験することができます。人は困難に直面したとき信仰によって祈り,神様を求めることによって神様を体験することができます。イエス様が嵐を治めたことによって弟子達はイエス様から神様を見いだすことができました。貴方は困難に直面しているかもしれません。恐れないでください。私たちがイエス様に頼るなら出口を備えてくださいます。
結論.嵐があっても船は沈みません。苦難があっても打ち負かされません。涙を流しても長く続きません。絶対的な頼りがあれば出口が必ず見つかります。私たちがイエス様により頼むことができますように。へりくだって主の前に出ましょう。私たちの苦しみをイエス様に打ち明けましょう。イエス様は必ず私たちの心に平安を与えてくださいます。 |