戻る
私たちの神は脱出の神」 

2007 / 09 / 30             

講師  榊原寛牧師  
聖書箇所  Tコリント10:13      
記録  酒井美音子  
 

 今日の聖書箇所には3つのことが書かれています。

  1. 私たちの会った試練は、人の知らないようなものではありません。

 私たちは自分の遭った試練は世界で一番大きな苦しみや悲しみだと誰もが思いますが、神様はその悲しみや痛みは私たちだけが初めて出会ったものではなく、私たちが経験している試練は多くの人々が一般に出会っている試練と同じものですと言っております。私たちただけが特別に乗り越えられない試練を神様がお与えている訳でもないし、私たちに罰として神様の怒りが下ったという訳ではありません。

 イエス様は「生まれながら盲人」にこの人の上に神のわざ、神の栄光が表されるためだと言いましたが、私たちの出会った試練は実は神様が試練を通して、神のわざ、神の栄光を表そうとしているという神様の御心を表しております。ですから、信仰は神様の祝福の先取りです。

  1. 神様は真実であり、私たちを耐えることの出来ない試練に会わせる様なことはなさいません。

 「真実」とは偽ったり、飾ったり、嘘のない本当のことです。イエス様は真実なお方です。哀歌3:22-23『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主の憐れみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い」』。神様の真実は力強いと言っています。新共同訳ではこの箇所を「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い」とあります。ここに「あなたの真実は力強い」と「あなたの真実はそれほど深い」という2つの表現が記されています。

 預言者エレミヤは神様の真実を経験し、神様の真実を語りました。エレミヤは神様の真実は「慈しみ」と「憐れみ」だと言っております。「慈しむ」と「憐れみ」が一つになって日本語では「慈悲」ということばです。「慈」はサンスクリット語でマイトレーヤーと言い、すべての友達を大切な友達として迎えるという意味があります。「悲」はサンスクリット語で「カルナー」と言い、苦痛を伴う痛みという意味です。神様の慈しみと憐れみはご自身が人生を痛みと苦しみのどん底を経験したからこそすべての人を大切な友として迎える事ができるという意味なのです。それはイエス様によって実現しました。

  1. 試練とともに、脱出の道を備えて下さいます。

 聖書の中に何箇所か脱出について書かれています。まず、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの人々をエジプトから脱出させました。次にバビロン捕囚からの解放です。新約聖書ではペテロが投獄された時、主の使いは牢の戸を開き、彼を連れ出しました。パウロとシラスが投獄され、神に祈り賛美していると、突然大地震が起き、獄舎のとびらが全部開き、鎖が解け、牢獄から脱出できました。イエス様は残酷なお姿で6時間も十字架にさらされ、殺され、墓に葬られました。しかし、キリストは墓を打ち破って3日目に復活しました。Tコリント15:54-55、「死は勝利にのまれた」とあります。「死」は全ての終わりであるということですが、「死」からも脱出させて下さいます。

 最後に、私たちの脱出の神が私たちのために働いて下さる時は必ず夜です。夜とは私たちにとってどういう意味を持っているでしょうか?暗闇、孤独、誰の助けもなく、絶望、そういう意味を持っている夜が私たちに対してどんなに濃くあったとしても、神様は試練共に脱出の道も与えて下さいます。

 「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30:5)。

戻る