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ピリピ人への手紙は感謝の手紙です。ピリピの教会は献金を以てパウロの宣教をサポートしていました。この手紙はまた、励ましの手紙です。信徒たちが、苦難と試練の間にしっかりと立つことができるよう、そして、福音のために努力することができるように励ましています。さらにこの手紙は、一致することを呼びかけています。当時、教会では二人の姉妹が争っていて、教会の平和な雰囲気が壊されてしまいました。ですからパウロは、手紙の行間に励ましと命令をつづっていたのです。
この箇所でパウロは2回も「イエス・キリストの日まで」と言いました。1回目には、心を一つにして福音を広めることを呼びかけました。教会のもっとも大切な使命は、イエス様の福音を広めることです。広めるという言葉は、ギリシャ語では遠征するという意味があります。前進するときには、その妨げになるものをすべて取り除くのです。ピリピでは二人の姉妹が争うことによって福音が広められませんでした。ですからパウロは、どのようにお互いを受けいれあうか、許しあうかを教えました。私たちは、同じ一つの体です。私たちの努力はすべて、主の家が盛んになるためのものです。自分が盛んになることは願っていません。バプテスマのヨハネは言いました。「あの人は盛んになり、私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30) それを逆さにしてはいけません。パウロは、心を一つにした奉仕を強調しています。人にはそれぞれの役割があり、それを一緒に行うことによって、神様の御旨を成就するのです。手の指の長さや太さが異なっていて初めてさまざまなことをするのに便利なようにできているように、私たち一人一人も、お互いを尊重しなければなりません。私たちは、どのようにして心を一つにし、福音を広めていったらいいのか神様に教えてもらい、傲慢、怠け、自己中心といった、福音の妨げになるものを取り除いてもらわなければなりません。イエス様は言いました。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」(マタイ11:29) すべて主に仕える人は、その柔和とへりくだりを学んでください。もし柔和や謙遜がなければ、神様はあなたを用いることができません。柔和というのは、力があって、力のない人のことを思いやれることです。柔和で謙遜な人が考えるのは、主のこと、そして他の人のことです。動機は自分ではなく、主であり、他の人なのです。もし神様に用いられるのなら、さらに神様の訓練を受けなければなりません。訓練を受ける時間と、与えられる責任には直接的な関係があります。時に神様はあなたに大きな恵みを与え、人々の中で際立たせることがあります。それは謙遜の訓練なのです。リーダーに従うことは、主に従うことです。従うことができれば、さらに大きな責任が与えられます。私たちは皆その訓練を受けることによって神様に用いられることができます。心を一つにして一緒に福音を広めることは、教会で奉仕する人の中で一番大事な目標です。私たちはこの心をもって、イエス・キリストの日まで奉仕するのです。
2回目にパウロは、イエス・キリストの日までに「あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。」と言っています。教会のなかに必ず愛がなければなりません。大きなことは些細なことになり、些細なことは無きものになります。それが愛の力です。愛は怒りを賛美に変えます。どうか主の愛が、この教会を導いてくださいますように。どうか自分が強いものだと思わないでください。私たちがへりくだるとき、神様はともにいてくださいます。主のために義の実を結びましょう。
イエス・キリストの日、私たちはイエス様と面と向かって会うのです。あなたは主に会う備えはできていますか。心を一つにして福音を広めることは、主が喜ばれることです。私たちはへりくだって仕えなければなりません。私たちは神様の愛をも持たなければなりません。へりくだって仕えること、お互いに受けいれあうこと、大胆に福音を伝えること。どうかそれを主が助けてくださいますように。 |