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ルカ9章28節,イエス様は三人の弟子を連れて祈るために山に登られました。山の上で祈っておられると,イエス様の御顔の様子が変わり,御衣は白く光り輝きました。しかも二人の人がイエス様と話し合っていました。それはモーセとエリアでした。イエス様の時代のユダヤ人はモーセの律法に従っていました。モーセはイスラエルの民の偉大な立法者でありリーダーでありました。またエリアが来たことは非常に大きな意義があります。マタイの福音書17章10節,キリストが来る前にエリアが来ると信じられていました。しかしイエス様がこの二人と話をしているときに弟子たちは眠っていました。彼らの目が覚めると,イエス様と一緒に立っているモーセとエリアを見ました。ペテロはイエス様に言いました「先生。ここにいることは素晴らしいことです。三つの幕屋を造ります。イエス様のため一つ,モーセのために一つ,エリアのために一つ」ペテロは何を言うべきかを知りませんでした。この三人の人たちと共にいることはとても素晴らしという自分の思いを重要視しました。今日のキリスト教にも自分の感覚を重要視するようになってきました。神様の臨在を感覚的に体験することを重要視しています。賛美歌をもちいて神様を賛美し気持ちがたかぶったとき神様が臨在してくださると感じます。感情を持って自分の霊的なものを測ろうしします。
キリスト教の信仰は感覚だけの信仰ではありません。本当の信仰とはどのようなものでしょうか。ルカ9章35節,雲がわき起こってその人々をおおいました。すると雲の中から声がしました。「これは私の愛する子私が選んだものである。彼の言うことを聞きなさい。」神様が弟子たちに語っておられるのです。聞きなさいとは,聞き従いなさいという意味です。キリスト教の信仰はキリストの御言葉に聞き従うことから始まります。聖書によって神様の御言葉を読むことができます。聖霊様が私たちの内にいらっしゃれば言葉を思い起こさせてくださいます。クリスチャンは自分自身の声ではなく,私たちは主の御言葉に聞き従います。なぜならイエス様は私達の罪のために十字架にかけられ復活されたからです。ですから神の国があるのです。この国の王はキリストです。神の国に住人は自分が語るのではなく,聞き従わなくてはなりません。現代のキリスト教は自分が語るのを好む宗教になってしまいました。ある人たちは異言を語らなければいけないと言っています。預言を重要視する人達もいます。これは間違っています。なぜなら御言葉は既に聖書にあるからです。聖書に立ち返って聖書の原則を追い求めることが大切です。聖霊様が私たちに何に聞き従ったらよいか教えてくださいます。私たちはみ言葉に聞き従うことを学ぶ必要があります。御言葉に従う人たちは神様が共にいてくださることを感じることができます。そうすれば天の御国の本当の姿を見ることができます。どうか主が私たちを祝福してくださいますように。 |