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真理の証し人」 

2007 / 09 / 09             

講師  姜寶陞牧師   
聖書箇所  使徒7:54-60               
記録  榎戸清美   
 
ステパノは教会の歴史の中でいちばん最初に殉教した人です。ローマ皇帝のコンスタンティヌスがキリスト教を合法的な宗教と認めるまで、300年以上もの間、教会は迫害を受けてきましたが、信徒は信仰を捨てず犠牲となったのです。このような圧力の中で、教会は小さくなるどころこか、益々発展していきました。ですから、殉教者の血は教会の種であると言われます。英語で「証し」は「殉教」と同じ語源を持っています。つまり、昔のクリスチャンが、証ししようとするならば、必ず殉教すると覚悟していたのです。私たちはステパノが残した軌跡を学ばなければなりません。
  1. ステパノは、神の真理にしっかり立っていました。ユダヤ人から反対され、ローマ帝国の圧力を受けながら、イエスキリストがメシヤであることを証ししたのです。彼は聖書に精通し、神の真理をしっかり心に受けとめていました。私たちも神の真理にしっかり立つためには聖書をしっかり学ばなければなりません。神の真理は、この尊い聖書の中に書かれているからです。もはや動かすことはできません。当時のユダヤ人はこの真理を認めようとしませんでした。使徒7:2〜53は、ステパノがユダヤ人たちの前で、イエスキリストが彼らの待ち望んでいるメシヤであることを証ししたメッセージです。ステパノは少しも妥協せず、勇敢に、聖書の真理を語りました。福音派の私たちは、この聖書の真理をしっかり握って、人々に伝えていかなければなりません。世界中のいくつかの国では、神の真理から外れたことが合法的に捉えられようとしています。しかし、国家の法律がどうであれ、私たちは神の真理を語る必要があるのです。そして、イエスキリストに従うべきなのです。16世紀の宗教改革者マルティンルターも、同じようにたくさんの圧力を受けましたが、決して妥協することなく、95か条を掲げ、教会の間違えを指摘したのです。これは、聖書の真理に忠実に従うためです。
  2. ステパノは聖霊に満たされた人です。彼は、天が開かれ、主の栄光とイエスキリストが神の右の座に立っているのを見ました。右の座とは、方向のことではなく、高くあげられ、神と等しくなられたということです。ある教会では、聖霊に満たされたなら、必ず異言を語らなければならないと言われますが、もし、異言がそんなにも重要であれば、この聖書箇所に必ず記されているはずです。ステパノは異言について語ったことは一度もありません。聖霊に満たされたとは、聖霊に管理されたということです。「酒に酔ってはいけません、そこには放蕩があるからです。御霊にみたされなさい。」(エペソ5:18)酒は人間をコントロールします。そうではなく、聖霊に管理されなさいと言っています。ステパノは、大いに力があり、勇敢でありました。ステパノが殉教したときのことを思い起こしてください。彼は、聖霊に満たされていたので、もはや死を恐れませんでした。
  3. ステパノは大いなる信仰を持っていました。彼は主のために生き、自分自身を生きた供え物として捧げました。「ステパノは主を呼んで、こう言った。主イエスよ。私の霊をお受けください。」(使徒7:59)これは彼の信仰の表れです。ステパノは栄光の未来があることを信じていましたから、死を恐れませんでした。天国に行くことを信じ、永遠の命があることを信じていたからです。「身体を殺しても魂は殺せない」これは重要な信仰です。イエスキリストが復活したからこそ、私たちにはこの希望があるのです。ステパノは殉教しましたが、彼は、私たちの永遠の模範になりました。

結論

 ステパノは、ある若い青年に影響を与えました。それはサウロ(パウロ)です。サウロは後に多くの人に福音を伝えました。ステパノの殉教は神のご計画の中にあったからこそ、価値があったのです。彼は福音の種を蒔いたのです。私たちも喜んで主に従い、主のために生き、生きた殉教者になりたいものです。この世の権力や地位から開放されて、いつも喜んでいるならば、それはもう1つの殉教です。ステパノの信仰を学びましょう

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