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「 従順な奉仕」 

2007 / 08 / 19             

講師  李宏裕牧師  
聖書箇所  Iサムエル15:22-23  
記録  酒井美音子   
 

 今日の聖書箇所はイスラエルの最初の王であるサウルについて書かれております。イスラエルの王は他の王とは違い、主を通さなければならず、本当の王は主と言えます。そして、全ての主権は主が握っておられました。ですから、イスラエルの王は主に聞き従わなければなりませんでした。

 イスラエルの王と今日の私たちの教会の奉仕は非常に似ています。サウル王は神の御国の中で王となることをあまり理解しておりませんでした。この角度から今日の私たちの奉仕について考えて見ましょう。

 「聞き従うこと」(22節)は奉仕の中で最も重要です。神様はサムエルを通して、サウルにアマレク人を聖絶するように命令しました。アダムとエバが神の命令を無視して、善悪を知る木の実を食べて罪を犯してから、人間は善悪を区別しました。善悪を知ることは、裁きの権威を人間が取り、神様の裁きが正しいのではなく、人間の裁きが正しいことになってしまいました。即ち、人間は全てのことが良いか悪いかを自分の基準で判断してしまうようになりました。この世がこんなにも乱れているのは、私達が互いに裁き合っているからです。詩篇7:11、「神は正しい審判者、日々、怒る神」。神の裁きだけが合法的なのです。全ての裁きは神の御手の中にあるので、それが不合意に思えても神に聞き従わなければなりません。物事の善悪の基準は神の裁きの結末を見れば、一目瞭然です。

 サウル王は神の命令を聞いて、神の命令に聞き従うふりをしました。アマレク人との戦いに勝利した時に、彼の考えは変わり、アマレク人の王アガクを生け捕りにして、良質の家畜を残しました。彼は自分の基準によって、良いものと悪いものを区別しました。そして、彼はアマレク人からの分捕り品の中の良い牛や羊をいけにえとして捧げようとしました。彼は神の御心を行いませんでした。

 神はアマレク人に対して一歩も譲らず、聖絶するように命令しました。これは神の裁きであり、復讐であったのです。これは現在のクリスチャンの戦いと同じです。クリスチャンの戦いはサタンに一歩の譲らず、いつもみことばに従うことによって勝利しなければなりません(ヤコブ4:7)。サウル王が最も良い牛や羊をいけにえとして捧げたとしても、神様に従っていないのであれば、そのいけにえの価値は全くないのです。

 神の結論を見てみましょう。23節「・・・従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」。聞き従わない堅い心は、神が正しくするだけでなく、いけにえを捧げても神様に従わないのであれば、偶像礼拝の罪と同じであると言われました。偶像礼拝する人は、神が誰かということを知りたくなく、ただご利益主義で自分の目的が達成すればそれでいいのです。

 人が奉仕をする時に、神様に聞き従わず、自分自身の中の善悪に聞き従うのであれば、偶像礼拝の罪と同じです。神の御心はどうでもよく、自分の目的が達成できればそれでいいのです。クリスチャンの奉仕は自己中心を越えなければならず、神様に聞き従うことを学ばなければなりません。しかし、私たちが聞き従う時にさまざまな困難に遭います(Tペテロ4:12)。私たちがそのような問題に直面した時に、神様の御心を求め、ますます霊的に成長することができます。

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