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ピリピの教会に宛てた手紙の中で、パウロはエパフロデトに対して「私の兄弟、同労者、戦友、使者、窮乏の時に仕えてくれた人」と、表しています。同労者とは、一緒に働いてくれる者。戦友とは、主の為に、また、人生やこの世の悪に立ち向かう為に一緒に戦ってくれる者。使者とは、私の使徒或いは弟子。窮乏の時とは、自分が苦しみ、悲しみ、病んでいた時のこと。2000年前のパウロとエパフロデトはこの様な関係でした。今、イエス様と自分との関係の中で、イエス様が私たちをこの様に呼んでいる時、私たちが「ハイ」と答えられるようになりたいものです。
1ヶ月前、神の使者であり戦友である丁長老が天に召されましたが、主が言われるように、生まれる時にも死ぬ時にも主の時があります。この教会にも主の為に仕えた多くの先輩方がたくさんおりますが、私たちは先輩方から引継いでやらなければならないことが数多くあります。今日は神様の国を思い、信仰の継承、主イエス様への献身の継承と言うことについてメッセージを送りたいと思います。
ある新聞に載っていた詩に「すごい日」というタイトルで、「朝起きたら青虫が大きな蝶になっていた」と書いてありました。また、ある別の詩には、飼っている年をとったハムスターに対して、生命のすごさを表す内容が書いてありました。全ての人は主の復活の命によって生かされています。ですから毎日を「すごい日」と心の中で満ちあふれた叫びをしたいものです。死は確実に100%の確率で誰にでもおとずれるのです。ある本には「身近な人の死を通して自分の死や生を考える」と書かれています。人の死を通して自分が生きることの意義をあらためて考えることが出来ると語っています。さて、その様に亡くなられた方々に対して追悼会というものが持たれますが、今日はこの会を持つことの意義を考えました。
1.在りし日の故人を偲ぶ
2.近しい者が迎えられた天国を慕う生き方をする
3.再会を望む
4.先に召された人々の生き様に習う
5.1粒の麦としてそれを無駄にしてはならない
6.召された者の命を引継いで生きる
7.自分が生きることと同時にいつか迎える死に対して考えなければならない
8.自分の人生のゴールを明確にする
9.召された故人の分まで生きる
この様な会は、心の中に生き続ける人の存在や足跡に思いを深めるという意味が込められています。ですから自分が召された時、やさしさや愛、思いやり、苦しみの中を耐えて生きる強さ、その様な生き様を家族や友人、教会の兄弟姉妹に偲ばれるよう、イエス様から戦友、使者と呼ばれるようになりたいと思います。それが次の世代を継承して行く信仰です。 |