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「パーフェクトな人生」 

2007 / 04 / 29             

講師  李宏裕 牧師  
聖書箇所  ヨハネ 10:1-16  
記録  岡部正敏  
 

私たちは、他人のことは見えるが、自分のことはみえない。鏡の中の自分は本当の自分ではない。右手にペンを持って鏡の前に立てば、左手にペンを持っている自分がいる。羊と人間は似ている。羊の視力は弱く、あまり遠くまで見えない。羊が草を食べるときは、そこに必ず羊飼いがいなければならない。一方、羊の聴力は優れていて、目は良くないが、耳はいい。人の人生と同じようなもの。見るものははっきりしていなくて、鏡の中の自分は本当の自分ではない。しかし、たくさんの声を聞くことができる。クリスチャンは主の声を聞くことができる。主に属する人は、羊と同じようなもの。主は羊飼いと同じ。羊飼いと人の間にはある関係がある。羊飼いが前を歩いて、羊はそれに従う。それは羊が羊飼いを見たからではなく、羊飼いの声を聞くから従う。だから、羊飼いは羊の群れからあまり離れてはいけない。 

ドキュメンタリーで牧場の羊の群れを見たが、そこに狼が来た。羊は声で狼が来たことが分かったが、どこに逃げたらよいのか分からず、辺りをぐるぐる回るだけだった。だから導く羊飼いが必要である。イエスは羊飼いが前を歩くと言ったが、後ろから羊を追うというのではない。今日の聖書箇所では、私たちの主が私たちの前で導いていることが分かる。羊は羊飼いに従うだけではなく、羊飼いの声を聞く。クリスチャンの信仰は目で見たものによって判断する信仰ではない。イエスは、はっきりと見えなくても構わないが、耳をもって主の声を聞きなさいと言っておられる。私たちは主の召しを受けた者である。主の導きに従うと、召しを受けたこと、必要なものは与えられるということが分かる。羊飼いはすべての羊を知っているので、各々の名前を呼ぶ。私たちクリスチャンの経験も同じ。仕事はやるべきことが終われば、その仕事は終わる。しかし、神がその人の名前を呼ぶとき、私たちが何をすべきかを教えるだけではない。また、神が召して下さったことに答えなければならない。 
 

神の御心を知っている人は、神の声が聞こえた人。御言葉を聞き、従った人だけが、天の御国に入ることができる。クリスチャンは多くのときに、多くの奉仕をしなければならない。パウロは、「もし、私が福音を述べ伝えないなら、私は災いにあいます。これを自発的にしているのなら報いがあります」と言っている。良い羊飼いに接している羊はいつも草を得ることができる。

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