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信仰の乗越え

2007 / 04 / 22             

講師  姜寶陞  牧師  
聖書箇所  へブル11:1−2,6  
記録  磯川智子  
 

 信仰とは、盲目的に信じるものではなく、神様から来るものです。クリスチャンの一番の資産は、神様に対する偽りのない信仰です。人生においては色々なものを失いますが、それは一部分にしか過ぎません。しかし、もし信仰を失えば、人生そのものを失ってしまうのです。イエス様は言いました。「見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29) 今日は、信仰が私たちの生活にとってどれだけ大切かを考えてみたいと思います。

  1. 信仰は、私たちの理性的な思考を越えている

現代は科学主義が重んじられ、考えて理解できないものは信じません。しかし、クリスチャンは理性に反対はしません。なぜなら、理性もまた神様に与えられたものだからです。「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言ったイエスの弟子トマスは、典型的な理性主義者です。しかし人間が見て、理解するのはほんの一部分でしかありません。人間の経験は限られたものです。私たちの信仰は、偽りの上ではなく、神様の真理の上に立てられたものです。ですから、クリスチャンの認識論は理性・経験・学習から来るものではありません。それは、神様の啓示から来るものなのです。私たちが訓練するのは、神様に対してじゅうぶんな信仰を持つためなのです。

  1. 信仰は私たちに苦難の迷いを越えさせてくれる

失意の時はいつもやってきます。しかし私たちは信仰ゆえに、苦難の中でも神様の御旨を見ることができます。良い信仰を持っていれば、しっかりと立っていることができるのです。すべての苦難は罪によるものではありません。私たちはこの迷いを越えなければなりません。典型的な例としてヨブがいます。彼は3人の友人から彼の苦難は罪によるものだと言われましたが、そうではありませんでした。神様は、ヨブを鍛えるために苦難を許可したのです。真理は、信仰の目を持って初めて見ることができます。最終的にヨブは信仰と従順な態度をもって、彼の境遇を受け容れました。神様から与えられた信仰に満ちたクリスチャンは、苦難の中でも神様からの愛を疑いません。ヨブ記が私たちに教えてくれるのは、苦難に直面する時、何も聞かず、答えを探さず、信仰を持って神様を見上げ、ただ従っていけばよいということです。ヨブは苦難の中でへりくだりを学びました。神様に頼ることを学びました。神様はこのヨブに倍の祝福を与えました。こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。(ヨブ記42:17) ヨブは、成功した人生を送ることができました。

  1. 信仰は人間の本性の弱さを乗り越えさせてくれる

アダムとエバの罪は全人類に及びました。 悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(Tペテロ5:8) 私たちは強い信仰をもってこれに立ち向かうことができますが、罪からの誘惑は多く、私たちは無意識に罪を重ねてしまいます。しかし神様は私たちがそうして何度転んだとしても、たすけてくださいます。ダビデやペテロも罪を犯しました。しかし、信仰をもってもう一度立ち上がることができました。罪を認めて悔い改めれば、イエス様は赦してくださいます。そして、私たちは以前よりも強くなれます。今日の恵みを、より大切にすることができるようになります。神様の愛を疑わず、自暴自棄にならず、信仰をもって神様を見上げましょう。

 では、信仰をどのように訓練したらよいでしょうか。まず、啓示をたえず学ぶ。神様の真理は聖書の中にあります。私たちは一生涯をかけてこれを追い求めていかなければなりません。 また、祈りをもって神を見上げる。祈りを通して、いつも神様から力と恵みをいただきましょう。 そして、聖書にある約束を実生活に応用させる。 このことを通して神様の臨在を経験できます。そして、ますます神様を知ることができ、信仰を強めることができるのです。信仰は、神様から来るものです。絶えず求め、経験すれば成長できるのです。訓練することで人間の性格の弱さ、苦難の迷い、理性の思考を乗り越えることができ、心は自由を得るのです。信仰は、クリスチャンにとって宝物なのです。

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