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遠い天からの角笛

2007 / 04 / 08          

講師   姜    寶陞牧師  
聖書箇所  Tコリント153-850-54  
記録  磯川智子  
 

本日、イースターは私たちクリスチャンにとってクリスマスより重要な日です。イエス様が十字架にかけられ、死に打ち勝ったからこそ、私たちは信仰の本当の基を持つことができます。その本当の基礎は、哲学や神学ではなく、イエス様がよみがえったという事実にあります。イースターは、ユダヤ暦(太陰暦)によるので、毎年日にちが変わり、春分の日の後の満月のすぐ後の日曜日とされています。この日、世界で25億人以上のイエス様を信じる人々が、イエス様の復活を祝っています。

今日のこの聖書箇所は、私たちに非常に重要なメッセージを伝えようとしています。Tコリント15章は、復活の箇所と呼ばれています。

まず第一に、イエス様の復活は、聖書による宣告があります。

イエス様がよみがえってからの新約聖書だけでなく、生まれる前の旧約聖書で預言されていました。詩篇16篇やイザヤ書53章においても、イエス様の復活が語られています。来るべき救い主イエス・キリストが死に打ち勝ってよみがえることも書かれています。イエス様の一生は、生まれる前に旧約聖書によってすべて書かれているのです。このことを疑う人もありましたが、1947年に死海文書が発見されました。これは紀元前200年ごろに羊皮紙に書かれた聖書で、一部は腐って欠けていましたが、整っている部分を今の聖書と照らし合わせてみると、書かれていることは変わっていないということがわかりました。 

第二に、イエス様のよみがえりには、人的な証拠があります。

イエス様はよみがえった後、少なくとも6回現われました。このことに異議を唱える人は、イエス様を思うあまり、イエス様の幻想を見たのだと言いますが、500人もの人が、一度に幻想を見るでしょうか。パウロがこのコリント人への手紙を書いたのはイエス様の復活から20年後で、その500人の目撃者で生き残っている人が大勢いました。キリスト教は、ローマ帝国の迫害の中で、ゆっくりと発展していきました。そして、すべてのリーダーたちは、殉教しました。彼らの、死んでもいいという気持ちはどこからきたのでしょう。彼らは、命の中で特別の出会いをしました。復活の主と出会ったのです。彼らの命はその時に変えられたので、死に面しても恐れなかったのです。ペテロは逆十字架にかけられ、パウロは首を切られ、ヤコブは聖殿の上から落とされ、ステパノは石打ちにされて殉教しました。なぜ彼らは自分の血を以って信仰を証ししようとしたのでしょう。誰も、嘘やイメージのために自分の命を犠牲にしたりしません。つまり彼らは、復活のイエス様を本当に見たということに他なりません。

第三に、イエス様の復活によって、私たちの人生に重大な変化があります。

人生に方向や意義があるだけでなく、この世を去ってからの永遠の望みを持っています。今日の聖書箇所は、私たちに一つの奥義を教えています。ある日、神様のラッパは天から響きます。聖書ではよく「その日」と言っていますが、これはイエス様が再来する日のことを指しています。旧約聖書から新約聖書にかけて、「その日」について4200回も書かれています。人類の歴史のクライマックスは、すなわちその日なのです。歴史は、その日に向かって進んでいるのです。ラッパが響いたその日、亡くなっていた人はよみがえり、生きている人の体は変えられます。そして共に天に上げられ、再会することができます。それは、栄光の日です。黙示録では、この日を子羊の結婚式と呼んでいます。よみがえり、変えられるのは、たましいだけではなく、実体をもつ体です。イエス様が復活した時と同じ体です。

この体の特性は、@朽ちない、永遠に続く A血肉の体ではない、まだ理解できない物質的なもの B栄光に満ち、光を放ち、きれいである  C死に打ち勝っている ということです。これは、私たちがイースターを祝う意義です。イエス様は、よみがえりの初穂です。救いの恵みはお金では買えません。イエス様を信じて初めて得られるのです。イエス様は、よみがえりの種を私たちの心の中に入れてくださいました。死は一つの変化でしかありません。私たちは必ず復活し、永遠に生きます。これは私たちに与えられた一番大きな望みです。復活の天国の栄光をもって、この世界を見ていきましょう。私たちは心から自由と望みを得、生きていく力と感謝の心が与えられるのです。

 

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