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イエス様は私たちのために十字架にかかられました。私たちに、いのちに至る道を開いてくださったのです。私たちは、霊的な成長を求めなくてはいけません。霊的とは何のことでしょう。どのような方面で霊的な成長を求めていけばよいのでしょうか。今日の聖書箇所から3つの成長が挙げられます。
まず ヘブル10:22 「邪悪な良心をきよめられ」 信仰の成長のことを言っています。 次に、10:23 「動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」 これは望みの成長のことを言っています。 さらに、10:24 「互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。」 これは、愛の成長のことを言っています。
さらにこれらの成長は、10:25:「集まることをやめたりしないで」 とあるように、個人的に霊的な成長を求めるだけでなく、集会の中で共に霊的な成長を求めていかなければなりません。神は私たちに新しい生きる道を設けてくださいました。まず、イエス様は十字架で受難されました。イエス様は天から地に下った地上の大祭司です。イエス様は、自分自身を捧げものとしました。このことによって、私たちは新しい道を与えられたのです。次に、今イエス様は神の右に座しておられます。天の上の大祭司です。イエス様は昼も夜も私たちのためにとりなしてくださっています。そして、私たちは救いを受けました。私たちには新しい霊的な地位が与えられました。私たちはイエス様を通して、神の御前に出ることができます。私たちは肉体的には地上にいるけれども、同時に霊的には復活したイエス様と共に天の上にもいるのです。ですから、私たちは信仰と望みと愛の成長を追い求めなくてはいけないのです。
T 信仰の成長
本当の敬虔さを受け入れる。私たちはイエス様を信じることで信仰の道に入ります。自分の罪を書き出して、イエス様に、その血によって清めてくださるよう祈りましょう。心を開いて受け入れれば、イエス様は心に住んでくださいます。
自ら霊的な経験をして豊かになる。神が生きた神であることを証しするなら、神は賜を与えて下さいます。
自分が神を信じることで、他の人たちに影響を与える。ある少女が将軍を信仰に導いたという聖書箇所があります。(U列王記5章) 戦争に負けて捕虜になった少女が神のことを証ししたことで、主人である将軍のらい病が癒されました。私たちもこの少女のように、神のことを証しすることができるのです。
U 望みの成長
この望みは、自分で考え出したものでなく、神が与えてくださった、ゆるがない望みです。私たちクリスチャンの望みは、イエス様の再臨です。イエス様が来た時に、この国が、また私たちが新しくされるということです。肉体は朽ちていきます。誘惑にも遭います。やがて裁きがありますが、イエス様が来た時には共に王となることができます。こうした将来の望みがあるからこそ、今日の生活態度が変わってきます。望みがあるから頑張れるのです。人生観や価値観が変わり、何を求めるか、何を諦めるかということもわかってきます。私たちが揺るがない信仰を持てば、勇気をもって将来に立ち向かうことができます。どうか神の与えてくださった恵みを、ノートに記し、いつか読み返してみてください。
V 愛の成長
神は愛の源です。私たちのどこに愛があるでしょう。私たちは他者の悪い所ばかりに目が行きますが、神は、神の愛で私たちが他者を愛することを望んでいます。他者が愛せないと思う時も、神は私たちを愛してくださっています。
愛することは他者を褒めることから始まります。人が良いことをすれば、それは当然のことと思い、ミスをしたときには批判します。人を愛することは、良い所を見てそれを口に出して褒め、肯定することから始めます。
人を愛する機会をつかむことも重要です。機会はいつもあるわけではありません。神はある人を特別にあなたの周りに置いているのかもしれません。機会をつかんで、その人を愛しましょう。
最後に、集会を止めてはいけません。成長を助けてくれるものです。信仰は私たちを神の前で生かします。望みは私たちを歴史の中で生かします。愛は私たちを人の群れの中で生かします。私たちが人を愛することによって、神の愛をあらわすのです。信仰、望み、愛。自分に足りないところがあれば、求めて成長していきましょう。
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