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マリアの信仰に学ぶ

2006 / 12 / 10             

講師  榊原寛牧師   
聖書箇所  ルカ1:26-38     

 今年も間もなくクリスマスを迎えますが、今日は救い主をその体に迎えたマリアの信仰と人柄について考えていきたいと思います。

1. マリアに告げられた御使いのことば
 ルカ13133に記されているマリアに告げられた御使いのことばは、イエス・キリストが生まれる700年程前の書であるイザヤ書でも預言されています。その書では、私たちの為に一人の嬰児が生まれ、男の子であり、救い主として生まれ、その名は力ある神であり、永遠の父、平和の君、そのように呼ばれると語られています。そしてそれは、イエス様御自身がそうであったのです。その主権は増し加わって、限りない。ダビデの王座に就いて、その王国を治めます。裁きと正義によってそれを堅く建てていきます。このように言われました。イエス様が生まれたのは、神の計画と熱心がマリアの体に成就したものです。しかし、イエス様はイスラエルという小さな国を世界的な王国にするために来たわけではありません。この世の王国はいずれ滅びます。イエス様が建てる王国は永遠に滅びること style="font-size: 12pt; font-family: PMingLiU">マリアの驚き
マリアにとって、処女で子供を生むということは考えられません。この時代に於いて、未婚の女性が身ごもるという事実は、姦淫罪に問われ、石打の刑に処せられるのです。

3. 人間の方法は不可能でも、神の方法は可能である
 御使いは言いました。聖霊が臨み、神の力が覆うときそれは起こる。生まれてくる子は聖なる者、神の子と呼ばれるだろう。神様は、罪のない者を罪人の身代わりの為に、神様の方法でこの世に送られました。これがクリスマスです。イエス様の生涯には、生まれた時から十字架の影が映っていたのです。イエス・キリストは私たちの罪の身代わりのために、罪のない者としてこの世に生まれました。人間の方法では不可能ですが、神様の方法には不可能なことは一つもありません。

4. マリアの応答
 ルカ129にあるように、マリアは戸惑い、この出来事を通して考え込みました。信仰とは、いろいろな角度から熟慮し、神に祈り、神に対して決断を持ち、神に委ねることです。神の御こころがなされていることを信じて待つことです。マリアは、自分にとっては無理なことでも、神様にとっゥ舞われても、それが祝福に変えられていきます。「ことばは神と共にあった。ことばは神であった」(ヨハネ11)とあるように、キリストと共に生きるということは、神様の御ことばと共に生きるということです。そうするとき、私たちの人生にもイエス・キリストによる祝福があります。「神は、実に、そのひとり子をおあたえになったほどに世を愛された」(ヨハネ316)。

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