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第一世紀の多くのクリスチャンは日曜礼拝を守り、主を礼拝しておりました。初代教会の教会生活は使徒たちが集会に加わっており、現代のクリスチャンの模範であります。今日はその模範について考えて見ましょう。
1.
彼らはみことばの教えを重要視し、それを受け入れておりました。
41節、ペテロが説教すると3千人の人たちが弟子に加えられ、42節、当時のクリスチャンは使徒たちの教えを堅く守っておりました。使徒たちの権威は、聖書を記すという責任を持っておりました。ですから、教えを守るためにはそれを調べ、解釈しなければなりませんでした。教会で最も重要なことは神のみことばを守ることです。みことばは力を帯びており、私たちの心の中の危機を救って下さり、神様のことばを理解すれば、それが光となるでしょう。私たちの人生は神のみことばに根ざしていなければ、私たちの人生には希望はありません。
2. 交わりの生活をしておりました。
42節、「交わりをし」とありますが、「交わり」とは「集う、シェアーする」ということです。互いに重荷を担うことによって、初代教会はこの交わりの生活を重要視しておりました。初代教会のクリスチャンは迫害の中にあって、連帯感はさらに強められていきました。
ある心理学者が人間は孤独を恐れていると言っております。教会の中で神様の愛を伝え、兄弟姉妹が愛を実践しているならば、孤独を感じることがないでしょう。ですから、現代のクリスチャンも初代教会のクリスチャンのように交わりを持ち、一人一人が自分が属するグループを持つことが必要です。
3. 聖餐と愛餐、祈りのある生活をしておりました。
42節、「パンを裂き」とは聖餐式のことです。教会には洗礼式、聖餐式、愛餐もありました。愛餐は2000年前からすでに行われていました。主の愛の中で共に食卓を囲むことは喜ばしい時間であり、互いに親しくなれる機会です。当時は聖餐式と愛餐を同時に行っておりましたが、後になって分けて行うことになりました。
4. 物品を分け与えていました。
44節、「信者となった者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有していた」。ある人はこれを共産主義ではないですかと言いますが、そうではありません。これは政治的制度ではなく、後に行われなくなりました。最も重要なことは強制ではありません。使徒5:4、ペテロはアナニヤとサッピラという夫婦に「これはもともとあなたのものであり」と言いました。つまり、彼らは自分たちの財産を喜んで売り払っていました。教会の基本的な思いは、物を人に分け与えるということです。豊かな者は貧しい者に分け与えるのです。
5. 奇蹟と不思議な業が行われた(43節)。
「奇蹟」とは超自然的な現象ではなく、神の救いのしるしです。イエス様が奇蹟を起こした時に、自分のために起こしたものは一つもありませんでした。他人を救うために行ったものです。教会は神様の主権を表す場所であり、神様はご自身の主権を持って教会の働きに介入されます。ですから、現在も奇蹟は行われています。
6. 当時の教会はいつも賛美をしておりました(47節)。
彼らは宮でも家でも神を賛美しておりました。賛美と詩、祈りとは分けられないものです。賛美をしている時に力が与えられます。
ある老牧師がこう証しして下さいました。私達が苦しみに出会う時、霊的に落ち込んでいる時、祈りたくない時に、讃美歌を歌うことを薦めております。讃美歌を歌い続ける時に、聖霊に満たされます。ですから、賛美のある生活をしなければなりません。
7. 証しのある生活をしておりました(47節)。
47節、「すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」。もし、彼らが毎日教会だけにいたら、みんなに好かれたでしょうか?彼らは家に戻り、周りの人々に福音を伝えておりました。彼らの心には愛と信仰がありました。彼らはキリストの香りを放ち、多くの人が彼らに好意を持ち、教会に来ました。これは生活の証しの一つです。ですから、兄弟姉妹の皆様、教会を離れ外に出た時に、自分の言動に気をつけ、初代教会のクリスチャンのように、主の香りを放つことができますように。
初代教会というのは、私たちの時代から非常に遠い昔のことですが、彼らが重要視したことは現在も続いております。みことばを重んじ、クリスチャンの成長を重んじ、主の香りを放つことです。私たちもこのような模範を守り、このような伝統を次世代のクリスチャンに継承して行く事ができますように。
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