戻る
命と言葉が新たに

2006 / 10 / 01             

講師  姜寶陞牧師  
聖書箇所  ヤコブ3:2-12      
記録  酒井美音子  
 

 クリスチャンが救われた後に、外面的な変化があります。それは言葉における変化であります。命が変えられ、言葉も変えられました。これは命が成長するにつれて表れる必然的な現象です。今日は12名の方々が洗礼を受けますが、ことばによって命が表されますから、私たちのことばが新たにされることを訓練しなければなりません。ヤコブ書にはことばの変化について強調されています。

1.成長したクリスチャンはことばに於いて絶えず変えられ、新しくされるものであります。2節、「ことばで失敗しない人がいたら、その人はからだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」。「完全な人」とはどういう意味でしょうか?私たちは肉体に属していて、完全に達することはできないはずです。へブル5:14、「完全」という文字は「大人」ということばと同じです。ですから、「完全な人」とは、大人の人と略すこともできます。ことばに於いてますます成熟した人は、命に於いてもますます成熟してきます。成長したクリスチャンの著しい変化は、ことばに於ける失敗が少なくなるということです。

2.舌が火のようです。
 クリスチャンの日常生活に於いて主の助けを借りて、自分の舌の訓練をしなければなりません。5節、「あのような小さな火があのような大きな森を燃やします」。6節、「舌は火であり、不義の世界です」。最後には「人生の車輪」を焼きます。「人生の車輪」とは、一生の年月を表す古代のユダヤ人のことわざであります。「人生の車輪」とは一生涯の時間を表しております。もし、舌を制御しなければ、言葉が聖霊によって新たにされなければ、我々の一生の年月は火の中に燃やされてしまいます。私たちの人間関係は良くならず、私たちの家庭、仕事、私たちのすべてに影響を及ぼします。ですから、クリスチャンは主に求めて、言葉が新たにされることを訓練しなければなりません。

3.木の種類によって違う実を結びように、その人の命によって生活が変化します。11-12節、「泉が甘い水と苦い水を同じ穴から湧き上がらせることがあるのでしょうか。・・・いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりすることは、できることでしょうか」。木の種類によって実を結ぶように、命によって生活が変わります。クリスチャンが求めるものは、命の成長、向上であります。救われた人は、新しい命、神の命が私たちの内にあり、私たちの中に、新しい種があります。クリスチャンは受洗したら、救われ、それで終わりということではありません。常に一生懸命聖書を勉強して、集会に参加し、霊的な書物を読まなければならず、生活の中において自分自身を訓練しなければなりません。そして、私たちはクリスチャンは神様の御心に叶わないものを変えていかなければなりません。もし、みことばがいつも私たちのうちにいつも留まっているならば、私たちの人生も、命も絶えず変えられ、成熟していきます。

 確かに神のことばは堅い食べ物でありますが、私たちに栄養を与え、成長させて下さいます。ですから、生活はその人の命に従い、もし、私たちが命の成長を求めて行くならば、ことばも必然的に変化していきます。神様によって、リバイバルされた命を持っている人が、世俗的な神様に喜ばれないことばを口にしたくないはずです。しかし、不注意に口から発することがあります。ですから、私たちは祈りによって、ディボーションによって、これらのことを克服していかなければなりません。私たちは聖霊によって、完全に変えられなければなりません。舌は火のようなだけではなく、剣より鋭い時もあります。剣を抜くと一人しか殺せませんが、舌は多くの人殺すことができます。ですから、クリスチャンは気をつけなければなりません。イエス・キリストの十字架の救いの大いなる力をたよって、聖霊によって変えられることを決意しなければなりません。

「結論」人の徳を高める言葉を話し、人を論じることを話さないように。感謝の言葉をたくさん話し、呟きを少なくします。祝福のことばを多くし、呪いの言葉を少なくします。

戻る