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堕落と救い

2006 / 09 / 03             

講師  姜寶陞牧師  
聖書箇所  創世記3:1-10,15                     
記録  酒井美音子  
 

 創世記3章は全人類の先祖が堕落から救いに到る過程が書かれています。今日、人類が多くの苦しみ、死に直面しています。それは人類の先祖が罪を犯し、神様を離れた結果であります。神様が最初に創られた世界には死がなく、とても平和なエデンの園の中におりました。どうして、堕落してこういう結果になったのでしょうか?今日の聖書箇所の中にすべての背景が書かれております。2つの角度から考えて見たいと思います。第一、人類の先祖が堕落した原因、第二に人類の堕落した後の結果です。

1.人類の先祖が堕落した原因
@神の言葉に対して疑いを持ちました。1節、サタンが蛇にとりつい蛇が、女に「あなたがたは園のどんな木からも食べてはならない、と神は、本当に言われたのですか?」と言いました。疑いの種をエバの中に置きました。神様は園の中のあらゆる木の実を食べてもいいけれども、善悪の木の実だけは食べてはならないと言いました。4節、神様はそれを食べると死ぬと言いましたが、蛇が女に「決して死にません」と言いました。人間の貪欲や好奇心によって、神様に対して疑いの気持ちを持ったのです。アダムとエバは誘惑に負けて禁断の木の実を食べてしまいました。彼らは神様の真理に対して疑ったのです。これはサタンの誘惑を受けた結果であります。私たち人間が堕落した理由は聖書の教えに対して疑ったからです。我々は多くの失敗に直面し、多くの苦しみに出会います。それは、私たちが弱く、堕落し、誘惑に負けたからです。人間は誘惑に対して最初は警戒しますが、段々にそれを忘れ、誘惑されるままになります。私たちが神様のことばを疑い、神から離れた時に、私たちは誘惑に負けてしまいます。ですから、私たちは神様に従順しなければなりません。

A神に従いませんでした。神様の命令ははっきりしているのに、アダムとエバは故意に神様のみこころに背き、禁断の木の実を食べてしまいました。それによって、一連の苦しみが始まりました。神様に従い、神様の道を歩むことは、それが幸せにつながる道であります。その道は我々の思いの通りの道ではないかもしれませんが、我々が計画した道よりはるかにすばらしくものであります。我々は近い将来しか見えませんが、神様は我々の人生の青年、壮年、老年期をすべて見守って下さいます。我々が神様に従えば、一番すばらしいものを与えてくれます。アダムとエバはそれを忘れ、誘惑に負けて、自分の道を歩もうとしました。その結果、死がエデンの園に入り、死が人類の社会に入りました。

B5節、神と同じようになることを求めました。中華福音神学院の教授は、サタンが人間を試みる方法が2つあると言いました。一つは神様のご性質を攻撃し、二つ目は人間が神と同じようになることを求めさせるのです。アダムとエバは禁断の木の実を食べた後、確かに善悪を知るようになりました。以前は善を知っていましたが、悪を知りませんでした。今は悪を知りましたが、悪に打ち勝つことができません。これはすなわち、人間の困難であります。
 現代、罪がこの世に満ち、凶悪事件、殺人、戦争が起きております。これを通して考えると人間が自分たち人間を救うことができないことを証明しております。アダムとエバは神様と同じようになろうと思いました。被造物が創造主とどうして対等になることができるのでしょうか?サタンは神様と平等になろうと思いました。神様がサタンを創造したのではなく、天使の長が堕落してサタンになりました。ですから、神様は罪の源ではありません。

2.堕落の結果。
@羞恥心を持ち、邪悪な心を持ちました。裸は恥ずかしいことではありません。アダムとエバが堕落した後に、裸を見て、邪悪が心の中に入ったから、羞恥心を持つようになりました。人間は堕落した後には光がなく、邪念が心の中に与えられました。ですから、キリスト教は人間には原罪があることを教えております。

A恐れる心を持つようになりました。アダムとエバは、園を歩き回られる神である主の声を聞きました。人間が堕落する前は、霊的な一つの感覚がありました。罪の隔たりがなかったから、人間は神様の霊の臨在を感じ取ることができ、神様とのすばらしい交わりがありました。しかし、堕落した後には、アダムとエバは恐れる気持ちが生じ、主の御顔を避けて木の間に身を隠しました。親しい関係は緊張した関係に変化し、心の中に平安がなく、焦りと恐れしかありませんでした。これは、すなわち全人類の姿であります。人間がどんなに成功していても、人の心の中には、焦りと恐れしかありません。ですから、私たちは神様との和解した関係を取り戻さなければなりません。

B呪いです。人間が神様から離れた時に、死が人間の世界に入りました。しかし、聖書は人間に希望を持たせます。創3:15は原始福音と呼ばれ、我々に希望と与えてくれます。15節、「女の子孫が蛇の頭を踏み砕き・・・」、サタンに致命傷を与えるということです。サタンが反撃し「女の子孫のかかとにかみつく」とは、苦しみを受けるけれども、致命的ではありません。女の子孫とは、イエス・キリストです。イエス・キリストがサタンの頭を踏み砕きます。イエス・キリストは十字架上で死なれ、サタンのすべての力を打ち砕きました。イエス・キリストは死の限界を越え、私たちに永遠の命を与えてくれました。
 我々はかつて神から離なれ、堕落していたけれども、我々はイエスを通して、サタンを打ち負かし、死を打ち勝ち、勝利を得ることができるのです。

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