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神に愛されている人

2006 / 08 / 13             

講師  村上宣道牧師  
聖書箇所  ダニエル10:18-19                 
記録  榎戸清美  
 

 今日は、「神に愛される人」に、ついて話したいと思います。いつの時代に於いても、どこの国でも、人間が生きていく上では様々な問題があります。これが、事件となったり犯罪となったりしますが、ある人がこの問題についての原因を特定付けた一冊の本を出版しました。その本の中にはこのようなことが書かれています。今の日本は豊かになり、普通に働いていれば必要な物は手に入るような時代になりました。しかし、自分が愛されているという実感がなくなっていると言います。人間が生きていく上で一番必要なものが欠けている、つまり、人々は、愛されたいが満たされていない、その思いが様々な事件に繋がっているとるのではないかと言っています。夫婦であっても、親子であっても、愛されているという実感がないのです。しかし、愛を求めるばかりで良いのでしょうか。ある文学者が、日本語には本当の意味での「愛」、聖書の言っている「愛」はない、と言います。ヨハネの福音書の中で、愛は神から出ている、と、書かれています。「愛」は人間の心から出るものではないということです。人間は、自分を一番かわいがっている、自分中心に生きている、他人よりも愛されたいと願うものでありますが、人を愛することには欠けています。愛は神から出ているものだと聖書は言っています。ですから、神様を知らない人は愛はわからない、愛の源である神様と繋がることなしに愛を受けることはあり得ない、愛されたいと願う中で、その思いに満たされない、その様な中で、聖書は、ここに「愛」があると教えています。私たちが、聖書を通して神様からの愛を頂けているということは素晴らしいことです。

 英語には3つの「愛」の意味があります。1つ目は、「Because of」〜だから、と、言う意味で、何か理由があるから何かが出来る、ということの「愛」です。神様が愛してくださる「愛」は「Because of」ではありません。2つ目は、「If」もし〜なら、と、言う意味で、もし今までのことが間違っていても、これからきちんとすると約束したならば愛してくださる、の「愛」です。神様の愛が「If」、つまり、条件付の「愛」ならば、私たちは神様に愛される資格があるでしょうか。私たちは誰一人愛される人はいない思います。3つ目は、「in spite of」〜であるにもかかわらず、と、言う意味で、たくさんの間違いを犯してきた者にもかかわらず、同じ過ちを繰り返す者にもかかわらず、神様に背いて、また、人々を傷つけてきた者にもかかわらず、なんの役にも立たない、自分をつまらない者と思っているにもかかわらず、神様は、愛して下さっている、聖書の言う愛はこの「愛」です。神様はどんな人でも愛してくださるのです。誰一人、私は愛される資格はないと、思う必要はありません。神様はダニエルに対して、大いに愛せられている人よ、と、呼びかけています。しかし、神に愛されているのはダニエルだけではありません。ヨハネは自分のことを「イエスの愛する弟子」と言っています。ヨハネの福音書の中では、ヨハネは自分の名前を出していませんが、「イエスの愛するひとりの弟子」と表現しています。つまり、ヨハネのことです。自分はイエス様に愛されていると確信しているのです。ペテロも、ヤコブもイエス様に愛されていると思っていたに違いありません。すべての人が愛されているのです。私たち一人一人がイエス様に愛されているという自覚を持つことは素晴らしいことです。

 ダニエル書の中には3回、ダニエルに対して、「愛されている人よ」と、呼びかけている箇所があります。923節、愛されていると言うことは、様々な困難にあわないというわけではありません。ダニエルは信仰の故に、命を狙われるということもありました。愛されているからこそ、困難にあわないというわけではなく、むしろ、愛されているが故に、様々な困難にあうのではないでしょうか。しかし、愛されているという確信があったからこそ、困難に耐えることが出来たのではないでしょうか。どの様な中にあっても、この愛されているという確信に勝るものはありません。愛されている者は神様の御言葉を受け止め、その御言葉の意味を探り、理解するよう教えられています。1011節、「神に愛されている人」という言葉を聴く時に、神様は私に使命を与えてくださると言うことがわかります。このとき、ダニエルのように力強く立ち上がり、神様に従っていくことが出来るのです。1019節、愛されているということは、勇気を持つことが出来るのです。様々な困難の中にあっても安心して、力づけられて歩むことが出来ます。神様の愛から外れている人は誰もいないと言うことを知っていただきたいと思います。たとえこの地上で、誰一人私のことを愛してくれる人はいない、と、思うようなことがあったとしても、神様は、私を愛してくださっていると信じたいと思います。その「愛」を知るとき、私たちは勇気を持って、力強く歩んでいくことが出来るのです。

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