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ダビデの懺悔

2006 / 08 / 06             

講師  姜寶陞牧師  
聖書箇所  詩篇51:1-12           
記録  酒井美音子  
 

 ダビデ王が築いたイスラエル王国は強大な王国となりました。彼が富と権力を手にした時に、彼は殺人と姦淫の罪を犯してしまいました。ダビデのこの出来事を通して、私たちは人間がいかに弱い者であるということが分かります。彼は策略を用いてウリヤを殺害し十戒の第6箇条の罪を犯し、また十戒の第7箇条の姦淫の罪を犯しました。しかし、新約聖書の使徒13:22の中でイエス様は旧約聖書を引用して、「彼は私の心にかなった者で、わたしの心を余すことなく実行する」と言いました。どうして、殺人と姦淫の罪を犯した人が神のみ心にかなう人と言われるのでしょうか?ダビデは涙を流して悔い改めました。詩篇51篇は一番有名な懺悔の詩です。今日の聖書箇所からどのようなことを学ぶことができるのでしょうか?

1. 神様には豊な御恵みとあわれみがあります。1節、神様の御恵みとあわれみは、人間の咎よりはるかに大きいものであります。神は神様の義を持って私たちを裁かれます。愛があるから赦しが有り、憐れみがあるから赦しがあります。もし、神様の義だけが強調され、愛と憐れみがなければ、裁きしか残りません。ダビデ王は神のみ前に出てきました。2節、「どうか私の咎を、私から全く洗い去り」、7節、「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください」と言いました。「ヒソプ」とはとても長い草であり、旧約時代きよめの儀式に使用される植物でした。新約時代になるとイエス・キリストの尊い血潮によって私たちの罪をきよめて下さいました。神様には限りない大きな愛があり、私たちはそれを頂くことができます。ですから、私たちがどんな罪を犯しても、神様のみ前に進み出て悔い改めるなら、私たちの罪は赦されます。

2. 神様は宇宙万物の中において、一番偉大な法律を定める者であり、審判者であります。4節、「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し」と書かれておりますが、彼はただ神様だけに罪を犯したのでしょうか?彼はウリヤの妻を奪い、殺害し、ウリヤに対して罪を犯しました。彼は「あなたに罪を犯しました」と言いました。すなわち、神様がこの律法を定めました。十戒は神様が発行したものです。宇宙の中には法律を定める人が必ずあります。クリスチャンにとっては神様ご自身なのです。神様は義に従ってこの世を裁かれます。聖書の教えによりますと、最後の審判の時があります。神様は一番公平な裁判官であります。最後の裁きは神様が決めるものです。ですから、ダビデ王はそのことを知っており、神のみ前に進み出て、悔い改めました。

3. 悔い改めて、罪を告白します。それで、霊的な喜びと解放が与えられます。逆に言えば、もし、罪を持ったままで、自分の罪を神様に告白しなければ、私たちは安心して眠ることができません。ダビデ王は罪を告白する前、良心の呵責を受け、心の中の平安がありませんでした。8節、ダビデは「私に楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨がよろこぶことでしょう」。彼の骨が砕かれました。罪を悔い改めて、罪を告白するならば、喜びと解放感を得ることができます。どんな罪を犯していても、主の御前に進み出ましょう。再び神様からお赦し得ることができ、心の中の平安と喜びを得ることができます。毎日罪を告白する生活を送ることができますように。

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