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今日の聖書箇所で、イエス様と弟子たちが舟でガリラヤ湖を渡っていた時に、突風に襲われ、舟が転覆しそうになりました。弟子たちは非常に恐れて、彼らはイエス様に「・・・私たちが溺れて死にそうでも、何とも思われないのですか?」と言いました。イエス様は起きて、風を叱りつけると、風はやみ、大なぎになりました。この出来事は20世紀の私たちに何をもたらすのでしょうか?
1. 人生には突然起きる出来事があるということです。
37節、「すると、激しい突風が起こり・・・」とあります。突風とは突然起きる風であり、予測できないものです。つまり、心の準備ができていない時に、起きます。ガリラヤ湖は周囲が山で囲まれているという地形上、このような激しい突風がしばしば起きましたが、舟は波をかぶって、水浸しになり、転覆しそうになりました。ですから、この出来事を通して、人生の中にも思わぬ時に異変が起きることを暗示しております。ヨブ5:7「人は生まれると苦しみに会う。火花が上に飛ぶように」。誰もが人生の中でさまざまな困難や患難に出会うものです。私たちの人生の中でも、思わぬ出来事は到る所に起きます。突然、癌、脳出血のような大病にかかったり、思わぬ事故に出会うことがあります。私たちはそのようなことに直面した時に非常に恐れおののきます。私たちの人生という小さな舟がガリラヤ湖上で動いているような気がします。いつでも突風に出会う可能性があるのです。
2. 主が共にいて下されば、主に委ねることができます。
困難に出会った時に、ノンクリスチャンとクリスチャンの違いがあります。クリスチャンは困難に出会っても、主を信頼し、主に委ねることができます。弟子たちが恐怖に襲われていた時に、イエス様だけが「とものほうで、枕して眠っておられ」ました(38節)。イエス様は大工の息子であり、弟子たちはガリラヤ湖で魚をとっている漁師でした。ですから、弟子たちの方が湖のことは熟知していたはずですが、あまりにも波風が激しく、恐怖心で溢れておりました。しかし、最後の勝利はクリスチャンにあります。私たちは苦しみに出会いますが、打ちのめされることはありません。なぜなら、困難に出会っても、出口があります。イエス様は私たちの舟の上におられます。私たちがイエス様の名を呼べば、私たちは救われます。ガリラヤ湖で魚を採っている漁師たちでさえ、突風が起き、慌てました。彼らは理性で彼らを抑えることができず、主を求めました。イエス様は風を叱り付け、波、風は鎮まりました。イエス様が共にいて下されば、私たちは恐れることはありません。イエス様のご臨在はとても重要なのです。
3. 主には権威があって、自然界を支配しておられます。
39節、「風を叱りつけ、湖に『黙れ、静まれ』と言われました」。誰がそういう権力があるのでしょうか?天においても、地においても、宇宙全体の権力はイエス様の手の中にあります。これは宇宙の王権と言い、イエス様は大きな主権を持っておられます。勿論、イエス様は自然界を支配することができます。人間が支配できるものは限られたものですが、人間は自信満々になり、傲慢になりました。神様の眼から見れば、おかしくて仕方がないでしょう。イエス様は自然界を支配の下にあり、波や風を支配しました。そればかりではなく、イエス様は宇宙をも支配しておられます。宇宙の世界の中には、いろいろな星があり、イエス様には知らない星がありません。ヘブル1:3「・・・その力あるみことばによって万物を保っておられます」。詩篇147:4「主は星の数を数え、そのすべてに名をつける」。イエス様は宇宙の星々にすべてそれぞれ名をつけました。つまり、イエス様がそれを支配し、管理できることを意味しております。天文学者は銀河系の中には百兆を超す星があると言われています。まだ、発見していない星もたくさんあります。それはあまりにも遠いからです。また、天文学者は私たちは見ている銀河系は一つですが、宇宙の中には銀河とは何十億も存在するということです。宇宙は私たちの想像を超えた大きさであります。それに比べると本当に私たちは小さな存在に過ぎません。イエス様は多くの星でさえ管理し、万物を一定の秩序によって支配しているならば、ガリラヤ湖の波や風を支配することは、いと簡単なことであり、私たちの人生を支配して下さることも簡単なことです。私たちの人生をイエス様に委ねることが大切であります。
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