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根ざし、建てられる

2006 / 06 / 04             

講師  姜寶陞牧師  
聖書箇所  コロサイ2:612         
記録  酒井美音子  
 

 すべての建物には基が必要です。人生にも基が必要であり、基がなければ、揺り動かされてしまいます。信仰の基はとても大切であります。コロサイ人への手紙によりますと、信仰と言うのは、イエス・キリストという岩の上に建てられております。コロサイ人への手紙とエペソ人への手紙は姉妹編と言われており、エペソ人への手紙は教会論であり、コロサイ人への手紙はキリスト論です。二つを一緒に考えなければなりません。私たちの教会はイエスの基の上に建てられております。どんな力でも教会を抹殺することはできません。それは蘇りのイエスが基だからです。ギリシャの哲学者は人間は万物の尺度であると言いましたが、コロサイ人への手紙ではキリストは万物の尺度であり、宇宙の基である言っております。ここで、パウロは当時の教会が直面していた危機について話しました。つまり、異端の思想が当時の教会の中に入り込んで来ました。

1.どういう危機だったでしょうか?

1)哲学の危機:哲学(Philosophy)は2つのギリシャ語よって作られた文字です。Philoは愛であり、sophyは知恵であります。つまり、知恵を愛する学説であります。哲学は人間が考えた結晶であり、神から啓示を得たものではありません。
 当時、コロサイの教会はグノーシス哲学が入り込んで来ました。この主な考え方は、宇宙の星々に魂が宿っており、星の中に霊が住んでいるというものでした。そして、それが人間の運命を司っていると言うものでした。また、天使崇拝もしておりました。天使は人間と神の仲介者であるという考えでした。彼らは霊は善であり、物質は悪であると考えました。イエス様が完全な肉体となってこの地上に来られたことは、彼らにとっては有り得ない事でした。ですから、8節でパウロは「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれもとりこにならぬよう、注意しなさい」と言いました。21世紀になっても、多くの人は星占いや風水を信じ、それらに寄りすがろうとしますが、我々の運命は神様の御手の中にあります。ですから、私たちは星占いや風水、迷信から解き放たれなければなりません。

2)幼稚な教え:ガラテヤ人への手紙で、幼稚な教えは律法主義だと教えています。当時の教会は外部から入って来たグノーシス主義の衝撃があるだけではなく、内的な危機もありました。当時、影響力のあるユダヤ人のクリスチャンたちが、キリスト教をユダヤ教化にしようとしました。福音を旧約時代に引き戻そうとしました。彼らは飲食物による戒律や祭儀を守ることを強調し、さらに彼らは当時のクリスチャンを禁欲主義に導こうとしました。それらの教えが後の中世の修道院の難行苦行の禁欲主義の思想に影響を与えたと思います。そのような苦行主義は神様に喜ばれるものではありません。
 当時の教会はイエス・キリストの教えから大きく反れ、苦行主義に走り、禁欲主義に走り、旧約時代に戻り、グノーシス主義の思想に影響されました。ですから、パウロは律法主義の幼稚な教えのとりこになってはいけないと言いました。イエス・キリストこそが重要な教えであります。イエス様こそ、永遠の基です。

2.どうして、イエス様の内にあって根ざし、建てられなければならないのでしょうか?
1)イエス・キリストの中にはすべての豊かさがあります。9節「キリストのうちにこそ、神様の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」。イエス様の中には完全な神様のご性質とする神様の輝かしい光があります。キリストは神様の表れです。イエス様を信じれば、私たちは豊な命を得ます。なぜなら、イエス様は命の源だからです。

2)キリストの中に蘇った新しい命を得ます。1112節、蘇った力は私たちのうちに住まわれました。聖霊が内に宿って、すべて蘇ったクリスチャンの内に聖霊が、住んで下さいます。異言を話さなくても、聖霊が共におられます。新しい命とは、イエス・キリストが与えてくれた命であり、蘇った命です。新しい命は永遠に存続し、求めれば求めるほど豊かになります。新しい命が私たちを導き、新しい人生に向かわせます。もし私たちがキリストの内にあるならば、私たちの人生には根があり、基もあります。ですから、いろいろな困難に直面することがあっても、我々は倒れることがありません。たとえ、つまずいたとしても、また建てられます。

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