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| 「イエスの復活の確証及び意義について」 |
2006 / 04 / 16 |
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| 講師 | ︰ | 姜寶陞牧師 | |
| 聖書箇所 | ︰ | Tコリント15:3−20 | |
| 記録 | ︰ | 松澤政彦 | |
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今日,全世界でイエス様の復活をお祝いしています。キリスト教の信仰は,イエス様の復活の上に立てられたものです。将来私たちも栄光の中において復活します。それが私たちの望みです。今日は,復活の確信について考えたいと思います。コリントTの15章,この聖書箇所には,イエス様が復活した証拠が記載されています。 第一の証拠,イエス様が三日目に復活したと聖書が宣告しました。他の宗教でこのような宣告をしている経典はありません。人間の言葉は変わります。しかし神様のみ言葉は永遠まで続きます。 二番目の証拠,イエス様は復活の後に何回も弟子たちの前に姿を現しました。一番多いときに500人以上の兄弟達に同時に現れました。これは人的証拠です。 物的証拠もあります。ヨハネの福音書20章1節〜20節,墓からイエス様の遺体が無くなっていました。ある人はイエス様の遺体をだれかが盗んだと言います。もしローマの兵士が盗んだのなら,弟子達がエルサレムでイエス様のことを伝えているとき,イエス様の遺体を見える場所に置けば,イエス様が復活しなかったことを証明することができたでしょう。しかしローマの兵士はしませんでした。また弟子達が遺体を盗んだのなら,復活をしていないイエス様のために福音を伝えたりするでしょうか。イエス様のために喜んで殉教するでしょうか。合理的な解釈は一つです。彼らは復活したイエス様に出会ったからです。またペテロともうひとりの弟子が墓の中に入ったとき,イエス様の頭に巻かれていた布切れが巻かれたままになっていました。死体を盗もうとする人が,それを巻きなおして墓の中に戻しておくでしょうか。イエス様の体は物質と空間の制約を受けずにそこから抜け出したと言うことです。我々の頭で理解できることではありません。しかしイエス様は,「見ないで信じるものは幸いです。」とおっしゃっています。 四番目の証拠,弟子達が変えられました。教会を迫害したパウロの命が大きく変えられました。イエス様が逮捕されたとき,イエス様のことを3回否認したペテロもイエス様のことを伝えるようになりました。この力はどこからから来たのでしょう。彼らが復活したイエス様に出会ったからです。彼らの人生に新しい意義が注がれました。彼らは勇気を持って真理を述べ伝えています。このように客観的な証拠があります。 最後に復活の意義を考えたいと思います。私たちの命がイエス様とつながっているのなら,私たちはイエス様の復活の力を経験しています。私たちの内に復活のイエス様が住んでくださっています。私たちに復活の望みがあるので,困難の中においても私たちは勝利を得ることができます。私たちの持っている問題を復活の主の御前に打ち明けてください。イエス様の栄光があなたの心に差し込み,問題の出口が見つかります。復活されたイエス様にはできます。これはクリスチャンが経験してきた事実です。イエス様が私たちの心の中に住んでくだされば,私たちの内なる命がますます豊かになります。私たちが永遠の命に対して確信を持つなら,私たちの人生に,力があり,慰めがあります。 今日,私たちはイエス様の復活をお祝いしましょう。そして福音を全世界に復活のイエス様を伝えましょう。これはクリスチャン達の使命であります。
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