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真の交わりは神との関係回復から

2006 / 03 / 26             

講師  榊原寛牧師  
聖書箇所  ローマ5:1-11      
記録  磯川智子  
 

 神様との平和、神様との和解は、私たちのすべての原点です。平和とは、争いがなくて安らか、穏やかなことです。和解とは、互いに争うのをやめることを約束すること、二つのものが一つになるということです。私たちと神様とは、こうした関係でしょうか。

 イエス様のたとえ話の中に、1万タラントの借金を王様から赦されたしもべが、仲間の百デナリの借金を赦さなかった話があります。(マタイ182434) 私たちは、神様からイエス様をとおしてすべてのものが赦されているのに、このしもべのようなことをしていないでしょうか。神様と、また、人との関係の回復は、赦す・赦される、言い換えれば、互いを愛し合うことで成り立つのです。
 赦すことを阻害するものは、傲慢・頑固さ・自己中心などです。互いの罪が赦されるには、そうしたものが砕かれなければなりません。そこには、赦される喜びと、赦す喜びがあり、タテとヨコ、つまり神様とも人間同士とも、関係の回復が成された、祝福あふれる人生があります。

 では、私たちと神様とは、どのような関係でしょうか。かつて、アダムとエバはエデンの園において、神様と親しい関係でした。しかし、善悪を知る木の実を食べないという、神様との一つの約束を破ったため、神様との関係も、人間同士の関係も破壊されていきました。人間は、神様中心ではなく、自分中心の生き方を始めたのです。そこには、偽り・言い訳・憎しみ・嫉妬などが生まれました。神様との約束は、祝福の契約でした。それを破ったことが、人間の罪の原点なのです。アダムとエバは、神様から身を隠しました。(創世記38 )あなたは、神の顔を直視できない罪を持っていませんか。神様と、また、人との関係が壊れたまま、逃げ隠れしていませんか。

 私たちの姿が、どんなふうであるかを考えて見ましょう。私たちは、弱いです。善を行うにも、愛や親切、思いやりを行うにも、問題に直面したときにも。そして、私たちは、不敬虔です。そこには、神様を敬わない高慢な姿がありました。また、私たちは、罪人でした。さらに私たちは、神様に対して、敵対関係でした。しかし、神様は、愛です。私たちにイエス様をくださいました。そして、イエス様は、私たちのために死んでくださいました。それは、かつてあったエデンの園での祝福の回復のためです。私たちは、自分の弱さ、不敬虔さ、犯してきた罪を悔い改め、敵対し、不信仰であったことを認め、イエス様を救い主と信じたとき、神様との交わりを回復することができるのです。

 イエスさまの救いの結果、私たちは祝福を受けることができます。神様の子供とされる喜び。神様に対しても、人に対しても、後ろめたくない人生。赦される喜び。キリストによって愛されている、神様が味方であるという確信。それは、私たちが患難さえも喜ぶことができる祝福です。神様の愛が注がれていて、失望に終わることがないからです(ローマ535 )。そういう人生を、イエス様は命をかけて私たちに与えようとしてくださっているのです。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう(ローマ831 )。今こそ、自分に示されるさまざまな罪を悔い改め、神様と和解し、味方にして生きていきましょう。

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