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聖霊による喜び

2006 / 03 / 19             

講師  李宏裕牧師  
聖書箇所  ローマ14:17      
記録  松澤政彦  
 

 クリスチャンにとって、御霊から来る喜びはどのようなものでしょうか。この世的な喜びと、何が違うのでしょうか。なぜこの世の喜びよりも聖霊から来る喜びの方が重要なのか考えてみたいと思います。

 パウロの手紙では聖霊を肉体と対比して説明しています。肉体を思うものは死であり、聖霊を思うものには平安があります。私たちは以前、御霊に抵抗する肉体に従って生きていました。しかし神様を信じる全ての人に神様は聖霊を与えてくださいました。イエス様を主と告白し神様を信じる人は既に主の中にとどまっています。ピリピ人への手紙31,「最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。」ピリピ人への手紙44節、「いつも主にあって喜びなさい。」イエス様の内にとどまるなら、私たちはいつも主にあって喜びがあります。まだ聖霊の働きを知らない人もいます。ローマ人への手紙89節、御霊があなたがたの内に住んでおられるなら、あなたがたは肉体の中にいるのではなく、御霊の中にいるのです。イエス様の御霊を持たない人はイエス様に属する者ではありません。神様の御心を知り,自分の心の中において神様が働いてくださることを必要があります。

 聖霊による喜びには二つの側面あります。第一に苦難の中にいても喜ぶことができます。第二に望みのある喜びです。ローマの手紙52節〜5節,「艱難が忍耐を生み出し,忍耐が練られた品性を生み出し,練られた品性が希望を生み出しだすことを知っているからです。」クリスチャンが出会う苦難には二つあります。第一に自分の過ちによるものです。神様はその苦しみを通して我々を正してくださいます。第二に神様が許した苦しみです。神様がその苦しみの中において学ばせるためです。我々は神様に用いられる者となります。ローマ人への手紙52節、クリスチャンはイエス様の恵みの中にいます。苦しみの中にいても聖霊がその人と共にいてくださいます。だからクリスチャンはどんな環境の中にあっても喜ぶことができます。

 クリスチャンにはもう一つ希望があります。ピリピの320節から21節、私たちは天国の国民であってそこからイエス様が救い主としておいでになるのを待ち望んでいます。私たちは将来の約束があるので喜ぶことができます。
クリスチャンの喜びはこの世的な喜びとは違い、無くなりません。その喜びは苦しみの中にいながらも、持つことができます。その喜びを自分の中に迎え入れましょう。私たちが霊的な生活を送ることができますように。神様に用いられますように。

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