|
|||
|
|
|||
|
|
|||
| |
|||
| 「問題点はどこでしょうか」 |
2006 / 03 / 12 |
||
| 講師 | ︰ | 李宏裕牧師 | |
| 聖書箇所 | ︰ | コロサイ1:21-23 | |
| 記録 | ︰ | 榎戸清美 | |
| |
|||
|
イエス・キリストを信じる信仰を持つ様々な情況の中で、私達は伝道するときもまた同じ様に、この世の必要に応じて伝道してしまうのです。信仰を持つときに間違って信じてしまうかもしれませんが、そのまま信じるのです。また、間違って伝道をしてもそれによって信仰を持つ人もいるのです。その中で、多くの人は様々な問題にあいます。クリスチャンになってもどうして苦しみの中にいるのだろう、どうして私の問題や病いが以前と同じで変わらないのだろう。パウロは聖書の中でこう言っています。「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です」(コリントT15:19)。私達が伝道する時、この世の為、または、今の必要の為だけではありません。私達が信じる信仰は哀れな信仰ではありません。 今日の聖書箇所から私達は信仰を持つ前は神から離れていて、神と敵対していたことが分かります。また、信仰を持って神様と和解しました。信仰を持つ前は肉の身体に頼っていましたが、信仰を持ってからは自分の身体の中に住まわれるキリストの力によって生きるようになるのです。肉の身体とは、パウロはこのことばを用いるときに神様と敵対することを表してきました。神と和解した者には聖霊が住まわれます。そして、2つの律法があります。1つは以前の肉の身体から来るもの、1つは聖霊から来るものです。聖書の中では聖霊が肉と戦っていると書かれています。私達は聖霊に聞き従うことが出来ます。イエス様を信じた人には、常に様々な葛藤があります。これが福音です。なぜなら、元々中には聖霊に属する心もなく、神様に従おうとする心もありませんでした。しかし、信仰を持った時にこのような葛藤が生まれるのです。これはクリスチャンの正常な働きです。私達が、これが福音だと知ったときに、もしかしたら多くの人は間違った信仰を持ち、間違った伝道をしているのかもしれません。多くの人がイエス様が私を愛してくれたから信じたと言いますが、しかし自分の中に葛藤は生じていません。この様な人の問題とは、困難や死に直面したとき、「神様、私を愛してくれたのではないのですか?」これは間違った信仰の1つの例です。 また、別の人たちは、信仰を持ってはいますが何でもやっているのです。心の中に葛藤はありません。全てのものは神様の祝福で、また、自分の思いが全て神様から与えられたと思っているのです。この様な人には神様がどこにいるかは関係ありません。なので、困難にあった時にはサタンの攻撃だと思い、牧師にサタンを追い出すようお願いするのです。 また、もう一方で、多くの人が間違った伝道をしています。過去に、ある姉妹の電話で、死に直面した人がいるので伝道をしてほしいと頼まれました。その人のところへ行き、福音を伝えましたが、福音を伝える側と伝えられる側の思いが違っているのです。伝えられる人は、「癒されなければ信じません」と、言います。福音はその人が死ぬとか生きるとかではなく、それを聞くかどうかです。私達の身体は日々衰えていきます。しかし、内にあるものは日々新しくされるのです。福音とは、イエス様が十字架にかかり、3日目によみがえり、天に昇り、私達に聖霊を与えて下さったということです。福音とは私たちの命を少しでも延ばすことでしょうか?福音とは私達が神様の命を得るということです。罪と悪の中にいた人が信じ、復活して神様が創造した元の身体に戻ると言うことです。私たちには先ず、日々衰える体がありますが、将来、霊的な身体が与えられます。先ず、最初のアダムがいて、アダムが罪に定められたことで、私達全ては罪人となったのです。そして、私たちに最後のアダムが与えられました。つまりイエス・キリストが私たちに自ら新しい命を与えたのです(コリントT15:45)。クリスチャンは信仰を持ったあとでこの世の生活が良くなるわけではないので、その様な考えなら教会に来る必要はないわけです。私達はイエス様の福音はもしかしたらきちんと信じていなかったかもしれないし、きちんと伝えていなかったかもしれません。どの様に解決したらよいのでしょうか?非常に特別なことに、イエス様を信じるとき、聖霊が私達の中に住まわれます。聖霊が働くとき、以前の罪を思い起こさせ、私たちをきよくするよう導きます。ローマ8:2、5、6、9、11、13、聖霊が私たちの中に住んでいるので、私達は聞き従い、神様の御心を行うことが出来るのです。
|
|||